〜三角点 ぶらぶら山歩行〜

タラガ谷越え(板取〜郡上)
1976.早春

第1回 高賀山(こうかさん)
第2回 西ヶ平(にしがひら)
第3回 権現山1(ごんげんやま)
第4回 添又(そえまた)
第5回 天神(てんじん)
第6回 日永岳(ひながだけ)
第7回 江原坂(えばらざか)
第8回 柿野(かきの){相戸岳}

■高賀山山頂眺望改善プロジェクト

学生の頃、休みともなると中濃近辺の山々を歩いたものでした。
後年、仕事(測量)で山に登り、学生当時その存在すら知らなかった「三角点」を探し歩くことが多くありました。
今また、友人から山歩きに誘われることもあり、せっかく汗水流して登るならその足跡をを残す意味で立体的な「点の記」を残そうと思ったわけです。
三等三角点「日当」 での
          GPS観測

      本巣郡根尾村にて   









  2000.11

■ 「点の記」とは?

若い頃読んだ新田次郎の作品の中に「剱岳−点の記」がありました。
明治中期、地図空白地帯だった中部山岳地域の地図を作るべくその測量の基準となる
三角点設置のため、陸軍測地部(現在の国土地理院)と民間山岳会が競って剱岳初登頂を
目指したもののその頂上にはすでに中世、修験者が残した痕跡があった・・・という内容でしたが、
その本の冒頭には次のような記述があります。

点の記とは三角点設定の記録である。一等三角点の記、二等三角点の記、三等三角点の記の三種類がある。三角点標石埋定の年月日及び人名、てん標(測量用やぐら)建設の年月日及び人名、測量観測の年月日及び人名の他、その三角点に至る道順、人夫賃、宿泊設備、飲料水等の必要事項を集録したものであり、明治21年以来の記録は永久保存資料として国土地理院に保管されている。

現在点の記は右のようなスタイルで、人夫等の記載はなく、
もっぱら三角点を目指す案内図として利用しています。
ちなみにこれはぼくの家の裏山にある三等三角点「西ヶ平」
の点の記です。
選点や造標の日付に「明治」という文字を見つけると決まって
前述の本を思い出し、当時の下界の風景はどんなだったか、
人の暮らしはどうだったか、などしばし感慨にふけります。
なお、この点の記をはじめ基準点の測量成果は国土地理院
のホームページ上で自由に閲覧することができます。
左図をクリック
 すると拡大


■ なぜ山に登るのか?

大和には 群山あれど  とりよろふ 天の香具山
 登り立ち 国見をすれば  国原は 煙立ち立つ
  海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ
      蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は       左は舒明天皇の有名な万葉歌です。
  「国見」は天皇が五穀豊穣を祈念し、神の下る山や宮中の
  高殿から国原を見おろす儀礼。
  大和にある天の香具山の頂に立って国見をすると国原には
  あちこちから炊飯の煙が立ち海原には鴎が飛び交う・・・
  美しい国よ、大和の国は。 と、政争に明け暮れた古代に
  あってはまれな穏やかな国見を歌っていますが、山を登る
  のはこの歌に通ずるものがあるからか。
  炊事の煙など今では見ることはありませんが、道路を走る
  車や畑で動く人影に生活の息吹を垣間見ることができるよ
  うで好きです。